医薬品を用いた病気の治療は、過去の長い間、同じ病名であればすべての人に同じ薬を同じ量投与することで行われてきました。しかし、そのような治療では、良く効く患者さんがいる一方で、十分な効果が得られないばかりか副作用がでてしまう患者さんが少なからずおられました。そこでそのような画一的な医療から、それぞれの患者さんごとにどの薬をどのように使えば効果的かといった治療の最適化が模索されてきました。これは個別化医療(personalized medicine)とよばれます。がん治療を例に挙げると、各々の患者さんの正常な組織の遺伝子とその患者さんから発生したがん組織の遺伝子を検索して、がん組織に発現する遺伝子を標的とする薬を選択することで治療効果を上げ、加えて副作用が出る可能性があるかどうかを判断してそれを回避する手法です。
この考えは非常に素晴らしいものの、がん組織は通常不均一な状態なので、その一部分だけを調べても不十分であり、さらに投与した薬が、効果を発揮するのに必要な量ががん組織に達しているかどうかもわからないままに治療を行っている点で不完全です。また、肝臓・心臓・腎臓の働きが弱っていると、投与した薬が体内で予想外の分布を示すため、副作用が通常より強く出てしまうということもあります。つまり、今行われている個別化医療は、まだまだ理想的とは言えない状況です。これらの欠点は、投与された薬の体内の分布を体の外から時間を追って観察して、十分な薬ががんなどの病巣に集積しているか、望ましくない広がりになっていないかを患者さんごとに治療前に検証して治療の方針を決め、治療を開始した後もそれを確認することによって克服できます。私たちは、これを“個々の患者における証拠“に基づく最適な医療 (personalized evidence based medicine: 個別化EBM)と名付けました。この研究プログラムでは、薬の体内挙動を制御する技術、病巣に効果的に薬を届ける技術、体の外からそれを可視化する技術などを開発することによって、個別化EBMを実現し、社会に普及させることを目的にしています。これにより、治療効果を最大化し、さらに副作用を最小化する医薬品の個別化適正使用が可能となるため、患者さんの利益を最大限とすることができます。
近年、治療(therapeutics)と診断(diagnostics)を同時に行うことの重要性をtheranostics(セラノースティクス)という用語で表現するようになっていますが、個別化EBMはまさにセラノースティクスの実践であるといえます。このことは、最適化された医療を最短コースで患者さんに提供できることから患者さんの利益になるだけでなく、副作用に対する医療を省くことができるため、社会全体の医療費削減にも繋がることが期待されます。
以上の個々の患者さんに対する最適な医療の実現のために、医学・薬学・保健学・工学の知識・技術を統合した幅広い連携での研究を推進して、金沢大学に個別化EBMの拠点を形成するとともに、個別化EBMをキーワードとした広い知識を有する人材育成を目指し、将来の新たな教育・研究分野の創出に向けた基盤を作りたいと考えています。
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